介護生活

はじめに

共働きで、小学生と中学生の子供がいたマミーの介護生活
認知症発症後、数年後に他界した母

亡くなってから今年で10年。
当時、口に出すことができなかったことを開放し、今介護で悩んでいる方の参考に少しでもなれば幸いに思います。

その日は突然おとずれた

『着替えてごはん食べちゃおー』

母はショートステイに通っていて、一緒に着替えをしてから朝食をとっていた。
いつもは、朝起きるとうろうろしている母。でもその日はちがっていた。

『どうしたの?』

寝ていた母の顔をのぞき込むと目にうっすら涙を浮かべていて、でも明らかに様子がおかしい母。
慌てて救急車を呼ぶと、そのまま病院へ搬送となった。

ふと外をみるとショートステイの車と、どこかに電話しているヘルパーさんが立っていた。
私は、介護施設に連絡するのを忘れてしまっていたのだ。というよりも、気が動転していたのだ。

病院で処置を待つ間、おそらく頭は真っ白だったのだろう。思い出そうとしても、処置室をあわただしく出入りする病院関係者の姿しか思い出すことができなかった。

決断の時

『ご家族の方、中へお入りください』

呼ばれて処置室の中に入ると、そこには若い女性の先生がいた。
不安な私の感情と、不快に思うほどの先生の強い口調とがミスマッチな気がして、でもそれが私を冷静にさせた。

『原因がわからない状態にあります。年齢的にも厳しい状態なので治療をしても・・・』

当時の母は73歳。されど73歳。私にとってはたった一人の親。
女手一つで私たちを育ててくれた、たった一人の母。
“年齢”という言葉で片付けようとしてしまうことには憤りを覚えた。

入院となり、病室に運ばれた母は人工呼吸器をつけられていた。
目はうっすら開いていたが、こちらの呼びかけには一切答えることができなかった。

『おかあさん、おかあさん』

呼んでも呼んでも答えてはくれない。
手や足をさすってみたけれど、冷え切った体があたたまることはなかった。そしてそれが意味するものを考えさせられた。

『おかあさん?』

ふと母の顔を見ると、目から涙が流れていた。

『お母さんごめんね、お母さんごめんね』

ただただ、介護から逃げ出したかった私がいて、そんな私を一切責めなかった母がいて、たった数年の出来事だったかもしれないけれど、抱えてきた思いがあふれ出した瞬間だった。

『主治医の先生からお話がありますのでこちらへ』

看護師さんから声をかけられ、先生がいる部屋にむかった。
話の内容は、病院に運び込まれたときにきいた内容と同じだった。唯一異なったのは”延命”をするかどうかということだけ・・・

私の心はすでに決まっていた。

これ以上の苦しみを母に与えてはいけないと。静かに眠らせてあげたいと。

そして、夫や子供たちには相談はせず結論だけを伝えることにした。

時間がたった今、本当にあれでよかったのだろうか?と考えることもある。けれど、結論がでることはない。

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