はじめに

人は物忘れをしてしまうことがある。

それは、年齢に関係なく起こることがあるが、年齢を重ねていくことで増える傾向にあるのだろうか。

母もそうであったと思うが、二世帯住宅といえど隣の家に住んでいると意外にそれぞれの生活の様子はわからないもので、見ようとしなければ見えないことも沢山あるのだ。

「もしかしたら?」と思ったときに対処できたならよかったのかもしれない。けれど、日々の生活に追われるなかで、特に金銭的な問題が絡んでしまうと動きがにぶってしまいがちになる。

「備えあれば憂いなし」

これが何より難しい・・・

物忘れ

ある時、母が真剣な顔をしながら

「泥棒が入ったかもしれない」

と言い出した。

なんでそう思ったのか聞いてみたところ

「貴金属類がなくなってる」

というのだ。

私たちは、警察に通報することにした。

ある程度整理整頓をしていた母が言い出したことだったので、全否定をしようとは思わなかったが、半信半疑でとても悩ましい事ではあった。それは、見知らぬ第三者に侵入された形跡が全くなかったからだ。

ではなぜ通報したのか?

それは、数年前に向かいのお宅に実際に泥棒が入ったという事実があったからだった。

この頃は、近所にある派出所の前のお宅に泥棒が入ったとか、不審な営業マンが自宅を訪問してくるなどの話がちょこちょこと耳に入ってきていたせいで、不安になる要素も一定数存在していた。

そしていよいよ警察が来て捜査をしてもらえることになったその日、一人の警察官に話かけられた。

「お母さん、最近探し物をよくしていないかな?出入りできる身内の方などはほかにいる?」

つまり、見知らぬ第三者に侵入された可能性は低いということだったのだ。

母は納得いかない様子ではあったが、それ以上どうすることもできなかった。

複雑な気持ちだけが私には残ってしまった。

決定打

何事もなかったように毎日は過ぎていった。

母はずっと仕事をしている人ではあったが、転々と職を変える傾向にあった。

それ故に、「新しい職場で仕事が覚えられなくて辞めてしまった」という話を聞いても驚きはしなかったが、あまりにも短い期間で辞めてしまうことについては、本当の理由が他にもあるのではないかと問いただすこともあった。それでも、母が仕事を辞めるたびに

「合わない職場もある」

そう思うようにしていた。

そしてついに母は仕事にいかなくなった。

しばらく休めばまた働き始めるかもしれないと思いつつ、別生計だった母の生活が心配になっていた。そんな状態ではあったが、母は子供たちの習い事の送迎をしてくれるようになっていた。

ある日のことだった。

その日も子供の迎えをお願いしていたが、なかなか帰ってこなかった。心配に思いながらも、子供たちは母と買い物をするのが好きだったこともあり、どこかに寄り道でもしてるのだろうと安易に考えていた。そんな矢先、

「トゥルルルルー」

電話がなった。

「まだ迎えにこれないの~?」

「えっ・・・」

習い事先にいる子供からの電話だった。

慌てて迎えに行きすぐに家に戻ったが、母は帰ってきていなかった。

その後数時間経っていただろうか・・・母が帰ってきた。そして

「自分がどこに行こうとしているのか分からなくなってしまって・・・・」

泣きながら私にうったえたのだった。決定的なものを突き付けられた感じがして、少しの間何も考えられなかった。

心のどこかで「もしかしたら母は認知症に・・・」と思っていたはずなのに、それを否定する自分が存在していた。私自身、生活が一変してしまうのが怖かったのだ。決定的な事実を突きつけられても、漠然とした不安に襲われるだけだった。

病院に行き認知症と診断されたが、急に生活が変わったということはなかった。

変わったことといえば、私が母の部屋に行く回数が増えたことくらいだった。母の昼間の様子が気になって見にいってみると、母はただただ一日中テレビを観ていた。

何を観ても全く面白くないといいながらテレビしか観ていないことが心配になり、家庭菜園や町内会のラジオ体操・習い事を勧めてみたが、何もしたくないの一点張りだった。ただ、子供たちと接する時には楽しそうにしていた為、お互いの負担がない程度に出来るだけかかわりあってもらうようにお願いしていた。

この時の私は、まだ介護というものが想像できない状態にあった。

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